こころの声を聴くのは何のため?|本質の私とつながって生きる

こんにちは。
「自分のこころの声を聴きましょう」
そう言われても、こころの中にはいろいろな声がありますね。
「やってみたい」
「でも、失敗したら怖い」
「もう頑張りたくない」
「何かしないとな」
気持ちがころころ変わって、どれが本当の自分なのか分からなくなることがあります。
自己否定や自責など、聞きたくない声が聞こえることもあります。

そんなこころの声を、なぜ聴くのでしょうか。
私は、自分の気持ちを理解しながら、本質の自分とつながって生きるためだと考えています。
今日は少しスピリチュアルな視点も交えながら、「こころ」と「魂」のお話をしてみますね(^^)
揺れ動くこころと、その奥にあるもの
以前、感情を解放するカウンセリングを受けたときのこと。
一喜一憂して感情に振り回される私に、カウンセラーさんは、こころと魂を分けて考える見方を教えてくれました。
こころは、日々の出来事や人の言葉に反応して揺れ動くもの。
うれしくなったり、悲しくなったり。
「大丈夫」と思えた翌日に、また不安になったり。
一方で魂は、そんな揺れの奥にある、変わらない自分の本質。
愛ややさしさ、静けさ、誰かとのつながりを感じる力。
こころに余裕があるとき、自然にあふれてくるようなものです。
不安になったからといって、自分の中のやさしさが消えたわけではない。
一時的に繋がりが感じられなくなっている状態なのです。
今感じている気持ちが、自分のすべてではない。
そう考えると、揺れている自分に対して責めるのではなく、寄り添う気持ちが出てくるように思います。
こころは、魂が現実を体験するための「器」
こころを、魂がこの世界を体験するための「器」のようにイメージしてみてください。
私たちはこころを通して、人との出会いを喜び、別れを悲しみ、さまざまな経験を味わっています。
こころが穏やかなときには、自分の中の安心感や、誰かを思いやる気持ちにも気づきやすい。
反対に、怒りや不安でいっぱいのときには、目の前のことで精いっぱいになります。
でも、それは本質の自分がなくなったということではなく、一時的に感じにくくなっている。
生きていれば、こころが揺れるのは自然なこと。
「本質の自分とつながったら、もうブレない!」
……とは、なかなかいきませんよね^^;
揺れるたびに自分の気持ちに気づき、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
その繰り返しでよいのだと思います。

モヤモヤの中に、聴いてほしい気持ちがある
こころが揺れたとき、こんなふうに自分に言っていませんか。
「こんなことで怒っちゃダメ」
「嫉妬する私は嫌な人」
「悲しんでいても仕方ない」
気持ちを切り替えようとしても、なぜかモヤモヤが残ることがあります。
そんなときは、すぐに片づける前に、
「私は、何が嫌だったんだろう?」
「本当は、どうしてほしかったんだろう?」
と、少しだけ耳を傾けてみます。
怒りの奥に「大切に扱ってほしかった」があるかもしれない。
寂しさの奥に「話を聴いてほしかった」があるかもしれない。
こころの声を聴くことは、自分の気持ちを、なかったことにしないこと。
答えがすぐに分からなくても、
「ああ、嫌だったんだね」
と気づくだけの日があってもいいのです。
そして、気持ちを認めることと、そのまま相手にぶつけることは別です。
自分の気持ちが分かると、伝えるのか、休むのか、少し距離を置くのか。
その後の行動が選びやすくなります。
自分がほっとできることを知っておく
気持ちに気づいても、すぐには落ち着かないこともあります。
そんなとき、私は考え続けるのをいったん休んで、自分がほっとできることをします。
お気に入りの飲み物を飲む。
一人の時間をつくる。
ゆっくりストレッチをする。
好きな音楽を聴く。
寝る。
推しを眺めたり、お笑いのYouTubeを見たりするのも、私には大事です(^^)
立派な方法でなくても、人と違っていても、自分が少し楽になれるなら、それでいい。
こころの声を聴く時間と、ただ休む時間。
どちらも、自分を大切にするために必要な時間です。
こころの声を聴きながら、本質の私と生きる
こころの声を聴くのは、いつも穏やかな自分になるためでも、正しい答えを見つけるためでもありません。
怒っている自分も、不安な自分も置き去りにせず、
「今、私はこう感じているんだね」
と理解していくため。
そうして自分との関係がやわらいでいくと、内側にある安心感や、自分らしい願いにも気づきやすくなるのではないでしょうか。
私は、それを「本質の私とつながって生きること」だと感じています。
そこから、
今日は少し休もう。
この気持ちを伝えてみよう。
気になっていたことを、やってみよう。
そんな日々の選択につなげていく。
こころの声を聴くことは、自分と仲良くなりながら、今日をどう生きるかを選んでいくことなのだと思います。
お読みくださり、ありがとうございました(^^)


